政治、文化、宗教とともに、歴史をみる視点で欠かせない大きなテーマが「お金(=経済)」。しかし、教科書などでは政治制度や歴史的出来事の延長線として習うことはあっても、それを因果関係や「歴史のif(もしも)」という観点から通史的に読み解くことはない。――井沢史観で歴史のあらたな見方を提示する。

お金の日本史 和同開珎から渋沢栄一まで
出版社: KADOKAWA
発売日:2020/11/20
単行本:253ページ
著者:井沢 元彦
昭和29年、名古屋市生まれ。早大法学部卒。TBS入社後、報道局放送記者時代『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞受賞。その後退社し執筆活動に専念。歴史推理・ノンフィクションに独自の世界を開拓。
この本を読むきっかけ
この本を読む前に「経済で読み解く日本史(上念司著)第1~6巻」を読みました。
大変おもしろく読ませてもらったのですが・・
・日本史がうる覚え過ぎでついていくのがやっと
・常識として出てくる宗教(開祖や本山)について忘れてしまっている
という有り様でした。
これはイカン!と思い立ち、子供の受験資料を借りて一から学びなおしました。
その延長で「お金」と「日本史」に関する本を探していたところ、この本を見つけました。
学者でなくジャーナリストが書いた「お金の日本史」なので、予想していたよりもくだけた印象で著者の見解や意見が満載です。
「お金の日本史」は、経済についても書かれていましたがどちらかというと「貨幣」にフォーカスしているように感じました。
より経済(マクロ経済)について書かれているのは「経済で読み解く日本史(上念司著)」の方です。
今回は、歴史年表にそって経済とそれに関連する政策の概略と、「お金の日本史」で得られた見識を、私があとで思い出せるようにまとめました。
(著者の見解・意見が気になる方はぜひ本書をご購入下さい)

はじめに
この本は4つの章で構成されています。
- 第一章 和同開珎の謎
- 第二章 中世社会の闇―幕府腐敗と寺社勢力
- 第三章 帝国主義の脅威と戦国時代
- 第四章 脱・朱子学と資本主義への道
今回は、「第三章 帝国主義の脅威と戦国時代」16世紀(室町・戦国時代)~「第四章 脱・朱子学と資本主義への道」20世紀(近代)頃までご紹介します。


戦国時代
- 1549 勘合貿易終了
- 1573 室町幕府滅亡
- 1582 本能寺の変
- 1590 豊臣秀吉 全国統一
- 1592~93 文禄の役(朝鮮出兵)
- 1597~98 慶長の役(朝鮮出兵)
- 1598 秀吉死
織田信長は「貨幣経済社会」を目指します。
旗印も日明貿易で輸入した銅銭「永楽通宝」となっていますね。
信長は、農業と商工業の二つの財布に分けて考えていました。
専業農民と専業兵士にする「兵農分離」を行い
関税や課税を撤廃した楽市楽座を作り経済を活性化させました。
その際に障壁となっていた既得権を擁する寺社勢力と戦いました。
比叡山延暦寺は関所を独占していたために焼き討ちとなりました。
軍事力は経済力とイコールです。
各大名の資金源を見てみましょう。
武田信玄・・甲州金
毛利元就・・石見銀山
上杉謙信・・鶴子銀山
豊臣秀吉の直轄領・・生野銀山
豊臣秀吉は「天正大判」を作っています。
江戸時代・朱子学の導入
- 中国は清1636~1912
- 1600 関ヶ原の戦い
- 1603 徳川家康 江戸幕府を開く
- 1609 島津氏 琉球征服
- 1615 武家諸法度制定
- 1616 家康死
徳川家康は、幕府の支配と秩序維持のために「儒教」その中でも「朱子学」を推奨しました。
のちに寛政異学の禁(1790年老中松平定信が寛政の改革で行なった学問の統制)により朱子学が奨励され、武士が修めるべき学問の主軸となっていきます。
著者はここが日本史における最大にして最悪のミスとしています(この本の主題でもあります)
儒教は無神論です。
親を恩人とし、祖先への恩返しを「孝」、主君へ使えることを「忠」として「忠孝」とします。
タテの関係性を重視し「官尊民卑」から「士農工商」という身分制度にいたります。
朱子学の影響で日本中が「商売は悪」というマインドセットになり、のちに貿易が滞ったり、
経済政策への失敗へとつながっていきます。
江戸初期の改革
- 1623~51 徳川家光(3代将軍)
- 1633 奉書船以外の渡航を禁止
- 1634 出島を築く
- 1635 参勤交代の制
- 1651~80 徳川家綱(4代将軍)
- 1651 由井正雪の乱(武断政治から文治政治へ)
- 1680~1709 徳川綱吉(5代将軍)
- 1658~1713 荻原重秀 勘定奉行
- 1687 生類憐みの令
- 1709~12 徳川家宣(6代将軍)
- 1709 新井白石 幕政(正徳の治)
「生類憐れみの令」で有名な5代目・徳川綱吉の時には、日光東照宮など建立や、明暦の大火で幕府財政は行き詰っていました。
勘定奉行の荻原重秀は、貨幣改鋳(元禄小判)などの経済政策を実行し、デフレ脱却、経済再建を果たしました。
近代においてはつい最近まで「貨幣改鋳によってバブル起こした汚職官僚」という汚名を着せられていました。
金銀本位の実物貨幣制度では、有限資源のために経済の成長による通貨量の調整ができません。
荻原重秀も佐渡金山へ赴いての生産力向上指導はしたものの、財政改善がみられませんでした。
貨幣改鋳により差益(シニョリッジ)による幕府財政改善、流通貨幣量を増やすことでデフレ脱却、物価上昇を喚起させる金融政策としての効果を果たしました。
現在でいうところの現代貨幣理論(MMT)ですね。
綱吉が亡くなると、6代将軍家宣が可愛がっていた儒学者・新井白石が荻原重秀を弾劾し罷免します。
一方、新井白石の行った「正徳の治」で、小判の量を増やした結果(正徳小判)、デフレに陥り財政再建失敗となってしまいました。
享保の改革
- 1716~45 徳川吉宗「享保の改革」
- 1722 上米の制・足高制
- 1730 上米の制廃止
「享保の改革」では、年貢増徴策や、上米の制により幕府にはいる米の量は増えました。
同時に換金作物の奨励を行っていたので物価は上昇傾向でした。
当時の武士はコメでお給料をもらい換金していたので、市場にあふれる米価は下落し、武士は困窮しました。
(米価安の諸色高)
吉宗は米価対策として、大坂堂島米市場を幕府公認としています。(株式市場のはじまりですね)
※上米の制
1万石につき100石の米を献上させる代わりに、参勤交代の際の江戸在府期間を半年(従来は1年)としたもの
令和5年になってのニュースでも話題となった「五公五民」も吉宗の時代の政策です。
収穫の50%が年貢として取り立てられるといもので、享保の改革以前は四公六民でした。
農民の暮らしは三公七民でかろうじて成り立つともいわれていましたので、農民の一揆も起きていました。
寛政の改革
- 1772~86 田沼意次の政治
- 1782~87 天明の大飢饉
- 1783 浅間山噴火
- 1786 利根川大洪水
- 1787~1783 徳川家斉
- 1787 松平定信 老中
- 1787~93 「寛政の改革」(松平定信)
田沼意次の政治の特徴の一つとして、重商主義政策への転換があげられます。
江戸幕府の財政は、農民からの年貢が基盤になっており、商業の売り上げに税をかけることをしていませんでした(!)
ここが著者の言うところの「朱子学」に染まった江戸幕府の悪です。身分制度の下位層である商人から税をもらうなんて悪しき事、というマインドセットがあったのでしょう。
田沼意次は、享保の改革の頃に結成された「株仲間」に商売の独占権を与え、その代わりとして、運上・冥加(うんじょう・みょうが)と呼ばれる営業税・営業免許税を納入させます。
また、金貨中心の東日本と銀貨中心の西日本の貨幣制度を統一するため、東西で使える「南鐐二朱銀」を大量に鋳造して流通させました。(のちの一部銀の原型となる)
天変地異や後ろ盾であった徳川家治が死去したことで田沼の政治は終わりを告げました。
田沼意次にまつわる非常識な賄賂の逸話は、田沼意次の最大のライバル松平定信によるデマと考えられています。
その松平定信が行った「寛政の改革」は田沼政治の全否定になります。
緊縮財政・風俗の取り締まり・飢饉に備える備荒政策(囲い米や七分積金)・朱子学以外の学問の禁止など。
大奥の経費を3分の1に切り詰めたところが失脚の原因と言われています。
また、日本の海岸が無防備 であることを指摘し、海岸防備の必要性を説いた「林子平」を弾圧します。
ロシアの使節ラクスマンが、日本人漂流民を乗せて根室に来航、江戸幕府との正式な通商を求めてきましたが、追い返してしまいます。ここで開国が半世紀近く遠のいてしまうことになります。
天保の改革
- 1833~39 天保の大飢饉
- 1834 水野忠邦 老中
- 1837 大塩平八郎の乱
- 1841~43 「天保の改革」(水野忠邦)
老中水野忠邦の行った「天保の改革」は、財政再建、物価の安定、風紀是正などの政策を進めたが、激しい反対にあって頓挫しました。
享保の改革、寛政の改革以上にさらに倹約を徹底し、歌舞伎役者は追放されました。
また物価が上がる原因は、株仲間があるせいと考え、で株仲間を解散する命令を出しました。それが逆効果となり、それまでの流通システムが機能不全となりさらに物価が上がってしまいました。
開国へ
- 1853 ペリー浦賀に来航
- 1854 日米和親条約(下田・函館開港)
- 1855 安政の江戸大地震
- 1858 日米修好通商条約
ついに開国を迎えることとなりましたが、幕府は鎖国前のレートで開国してしまったので、日本から金が大量に流出してしまいました。
鎖国前のレート 金1:銀5
鎖国後のレート 金1:銀15
本来ならば3倍の銀をもらわなくてはいけなかったのに・・
そこで質の劣る「万円小判」に改鋳した結果、貨幣価値下落で物価が高騰、相変わらずコメ給料(固定給)の武士が困窮し、攘夷運動の経済的背景となってしまいます。
- 1866~67 徳川慶喜
- 1867 大政奉還・王政復古の大号令
- 明治天皇(位1867~1912)
- 1868~1869 戊辰戦争
- 1868 明治改元
- 1869 版籍奉還
- 1871 廃藩置県
- 1873 徴兵令・地租改正
- 1877 西南戦争
- 1882 日本銀行設立
- 1885 内閣制度創始
- 1889 大日本帝国憲法発布
- 1894~95 日清戦争
- 1897 金本位制を施行
大政奉還が行われ、江戸幕府が終焉します。
戊辰戦争の際には、戦費調達のため「太政官札(1868~1869)」という金や銀などと交換できない不換紙幣が発行されています。
1897年に始まる金本位制は1931年に停止し、1942年の日本銀行法により管理通貨制度へと移行します。
明治時代に資本主義の父「渋沢栄一」が現れて、商業の地位が向上しましたが、江戸時代からの「朱子学」の影響は第二次世界大戦まで日本人を支配し続けていたと、著者は述べています。
感想
改めて織田信長の先見の明には感服します。
平清盛や足利義満は、自身の利益につながるから中国から銅銭を輸入していたと思います。
しかし織田信長は、貨幣経済の実現という「仕組みづくり」を考えついたところに、非凡さを感じます。
江戸の三大改革については、これまた学校の授業での丸暗記でしか記憶がなく、何も残っているものはありませんでした。
本来は正しい経済理論を理解していた荻原重秀や田沼意次といった人々が悪人とされていた(習っていた)ことに、朱子学の根深さを感じます。
今まで多くのビジネス書を読みながら腹落ちしなかった「お金に対するタブーという意識」の根源がはっきり分かりました。
まさか日本史を学ぶことで答えが得られようとは・・大変うれしい発見でした。


