政治、文化、宗教とともに、歴史をみる視点で欠かせない大きなテーマ=経済。しかし、教科書などでは政治制度や歴史的出来事の延長線として習うことはあっても、それを因果関係や「歴史のif(もしも)」という観点から通史的に読み解くことは少ない――日本はなぜ経済大国への道を拓くことができたのか。お金の歴史が概観できる、必読講義。

お金の日本史 【近現代編】
出版社: KADOKAWA
発売日:2021/10/29
単行本:240ページ
著者:井沢 元彦
昭和29年、名古屋市生まれ。早大法学部卒。TBS入社後、報道局放送記者時代『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞受賞。その後退社し執筆活動に専念。歴史推理・ノンフィクションに独自の世界を開拓。
この本を読むきっかけ
「お金の日本史 近代史編」は、前回の「お金の日本史 和同開珎から渋沢栄一まで」の続編です。
お金と日本史に関する本は、先に「経済で読み解く日本史(上念司著)第1~6巻」を読みましたが、私があまりにも日本史のことを忘れている&知らなすぎたため、一から学び直すことにしました。
そんな中で「お金の日本史」シリーズに出会いました。
学者でなくジャーナリストが書いた「お金の日本史」なので、予想していたよりもくだけた印象で著者の見解や意見が満載でした。
「経済で読み解く日本史(上念司著)」の方が、より経済(マクロ経済)について書かれている印象です。
歴史年表に沿って、経済とそれに関連する出来事の概略と、「お金の日本史」で得られた見識を、私があとで思い出せるようにまとめました。
(著者の見解・意見が気になる方はぜひ本書をご購入下さい)

はじめに
この本は4つの章で構成されています。
- 第一章 新貨幣制と金本位制への道
- 第二章 日露戦争による飛躍
- 第三章 揺れる大正デモクラシー
- 第四章 敗戦からの高度経済成長
今回は「第三章 揺れる大正デモクラシー」と「第四章 敗戦からの高度経済成長」です。

第一次世界大戦から世界恐慌へ
- 1910 韓国併合
- 1911 辛亥革命(孫文)
- 1912 中華民国建国(袁世凱)
- 大正天皇 1912~26
- 第一次世界大戦 1914~18
- 1915 中国へ二十一か条の要求
- 1917 第一次世界大戦のため金輸出禁止
- 1918 シベリア出兵・米騒動
- 1921 日英同盟解消
- 1922 海軍軍備制限条約
- 1923 関東大震災
第一次世界大戦は、ドイツ・オーストラリアの同盟国と、イギリス・フランス・ロシア・日本の協商国での戦いでした。
日本も連合国の一員として参加した際に、中国でドイツの利権を日本が継承しようとし、受諾させたのが「中国へ二十一か条の要求」です。
1918年、シベリア出兵が宣言されると、戦争特需における価格高騰を見越した米の買い占めや売り惜しみが広がり、米価が2.5~3倍に跳ね上がりました(米騒動)
1923年には関東大震災が起きます。
政府は、震災手形割引損失補償令を出します。
関東大震災のため支払いができなくなった手形など一定の条件をもつものを2年間の取立猶予(モラトリアム)し、日銀が被る損失には1億円を限度に政府が補償することとしました。
- 1926 昭和天皇即位
- 1927 金融恐慌
- 1929 世界恐慌
1927年 金融恐慌(昭和金融恐慌)
第一次世界大戦時の好況(大戦景気)から一転してモノが売れなくなり日本は不況に陥りました。
また、1923年の関東大震災による経済混乱で、震災手形の不良債権化など社会全般に金融不安が生じていました。
1927年3月14日の片岡蔵相の失言により取り付け騒ぎが起き、鈴木商店が倒産、台湾銀行が休業するなど混乱が生じました。
若槻内閣は総辞職し、次の田中義一内閣(立憲政友会)の蔵相となった高橋是清は解決を図ります。
支払猶予令(モラトリアム)を出し、3週間の支払い停止と銀行の3日間休業を行いました。
この間、高橋は日本銀行に200円札を大量に刷らせ(片面紙幣)、そのお札を全国の銀行の店頭に積み上げさせました。
すでに大量のお金が銀行にあることを知っていた人々はおパニックを起こすことなく行動し、取り付け騒ぎは終わりました。
1929年 世界恐慌(昭和恐慌)
第一次世界大戦の戦場とならなかったアメリカでも、ヨーロッパ経済の復調により輸出量減少、生産過剰となり,経済の不安が広がりました。
そんな中1929年10月14日アメリカのウォール街で株が大暴落し、一気に不景気になりました。
第一次世界大戦後、ヨーロッパ諸国に資金を貸し付けていたアメリカが不景気に陥ったことで,世界中に影響が及びました。
- アメリカ
-
ルーズベルト大統領の「ニューディール(新規まき直し)政策」
公共事業で雇用創出・政府による農産物の買い取りなどで、経済を安定。
,労働者の権利の保護なども行い,国民の生活も安定。 - イギリス・フランス
-
自国と植民地との貿易を強化して,他国との貿易には高い関税をかけて締め出す「ブロック経済」
- ソ連
-
社会主義国のため影響なし
- ドイツ・イタリア
-
有力な植民地を持たないドイツ・イタリアは、不景気による社会不安を利用した独裁者の出現。
軍事力で他国を侵略して経済を安定させようとした。- ドイツ…ヒトラー(ナチス)東ヨーロッパなどを侵略
- イタリア…ムッソリーニ(ファシスト党)エチオピアを併合
- 日本
-
新たな資源を求めて満州へ進出し,経済を安定させようとした
世界恐慌への対策として軍事力で他国を侵略していったドイツ・イタリア・日本は,やがて国際社会で孤立していきました。そして,その後,世界戦争(第二次世界大戦)へと発展しました。
第二次世界大戦のはじまりと終わり
- 1930 金解禁
- 1931 満州事変
- 1931 金輸出再禁止(管理通貨制度に移行)
- 1932 五・一五事件
- 1933 国際連盟脱退
第一次世界大戦が終わると、各国が金本位制に復帰したことで、浜口雄幸内閣(井上準之助蔵相)は金輸出解禁を断行しました。
金輸出解禁が外国為替相場の安定と、輸出の増大を図ることができると考えられたからです。
しかし、円の国際的信用を落としたくないという配慮から旧平価(金輸出禁止前の相場)で解禁したため、実質的に円高となってしまい(実際は円安だったのに)、さらに輸出には不利な状況となってしまいました。
世界恐慌の影響が、解禁実施直後の日本経済にも及んだため、輸出不振がいっそう強まりました。
これらの原因により昭和恐慌を招き、金解禁は失敗となりました。
1931年9月、不況を脱するために満州での権利を拡大したかった軍部が、南満州鉄道の線路を爆破し満州を占領した「満州事変」がおこりました。
外交政策で進めようとする日本政府を弱腰とする世論からのちに国際連盟脱退へ向かいます。
世論扇動は朝日新聞のプロパガンダとしています。
1931年12月、立憲政友会の犬養毅内閣が成立し、高橋是清が蔵相となりました。
高橋是清蔵相は金輸出再禁止を断行し、金本位制に替わって紙幣の発行額を国家が管理統制する管理通貨制度を採用することとしました。
高橋蔵相は公債を増発し、軍事費や公共事業費を増やす景気回復策をとりました(積極財政)
1932年 五・一五事件
犬養毅首相は、満州の問題を中国との話し合いで解決しようとしていたところ、海軍青年将校に殺されてしまいます。
次の斉藤実(海軍出身)内閣により、満州国承認。その後第二次世界大戦終わりまで、軍人・官僚出身首相が続きます。
- 1936 二・二六事件
- 1936 ベルリンオリンピック
- 1936 日独防共協定
- 1937 日独伊三国防共同盟
- 1940 日独伊三国同盟
- 1941 日米交渉開始
- 1941 太平洋戦争はじまる
- 1944 ブレトン=ウッズ協定(アメリカのドルを基軸とした固定為替相場制)
- 1945 終戦
1936年 二・二六事件
金輸出と世界恐慌による不景気から、政党政治に失望した陸軍青年将校がクーデターを起こしました。
同年8月、ヒトラー政権下で開催されたベルリンオリンピックは、ナチスの宣伝に利用されました。
ヒトラーのオリンピック成功に幻惑された日本人は、朝日新聞の「バスに乗り遅れるな」と煽られ、ドイツとの連携を熱望。
同年11月、日独防共協定締結。
1937年には、日独伊三国防共同盟を締結しました。当初ソビエトを仮想敵国としたものでしたが、1939年に独ソ不可侵条約が締結され、日本はダシにされた形になります。
そして1940年日独伊三国同盟を締結し、対英米同盟へと変質していくことになります。
1941年4月に始まった日米交渉がとん挫し、1941年12月に太平洋戦争開戦となります。
そして1945年8月15日に終戦を迎えます。
1946年 新円切替が行われ、1ドル=360円となります。
ここでかの有名な「預金封鎖」が行われます。
戦時国債の発行をしたことや、戦災による設備の打撃、生活物資の供給不足、旧軍人への退職金の支払いなどにより臨時軍事費の支出がかさみました。これにともない、物価が高騰、預貯金の引き出しが激しくなり、銀行券の発行高が急激に増えるなど、ハイパーインフレが起こっていました。
政府は1946年2月に、まず新円切り替えを行い、すべての現金を銀行に集めたうえで、預金を封鎖しました(2月17日)
次に流通している10円以上の紙幣(旧円)を3月2日限りで無効としました。
そして3月7日までに旧円を強制的に預け入れさせ、既存の預金とともに封鎖。
新円を2月25日から発行し、家族の人数などに応じて、毎月1人いくらまでと決めて銀行から引き出せる、出金制限という形を取りました。
この政策では、預金封鎖と併せて「財産税」が課されました。
この財産税は、不動産だけでなく預金も対象とされており、保有する資産の額によっては資産の9割が徴収される累進課税でした。
戦時補償特別税は、戦時下で政府が負ったこれらの債務補償を、事実上無効としてしまった税です。
形式上は支払う形をとりましたが、支払額に対して100%の税率で課税し、全額回収したため、実質的に戦時補償は打ち切られた形となりました。
預金封鎖と財産税によって流通するお金の量が減り、インフレは収束していきました。さらに、財産税の税収により、国の債務も減少しました。
今もなお「財産税(財産税法)」「戦時補償特別税(戦時補償特別税法)」は、法令だけが存在しているようです。
高度成長期のはじまりと終焉
- 1949 中華人民共和国 成立
- 1950 朝鮮戦争
- 1951 サンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約調印
- 1960 日米新安全保障条約 調印
- 1971 ニクソンショック
- 1972 沖縄返還
- 1973 円変動相場制
- 石油ショック
- 1985 プラザ合意
- 1989 昭和天皇崩御(平成へ)
1950年の朝鮮戦争の復興特需から、太平洋戦争後の不況から脱することができました。
1960年の日米新安全保障条約では、アメリカと平等相互の援助条約が結ばれました。
アメリカではベトナム戦争で財政が悪化し、金が流出していたため、1971年8月15日金と米ドルの交換停止が発表されます(ニクソンショック)
戦後の固定為替制度の1ドル=360円という超円安によって支えられていた輸出産業を軸とした日本の経済成長が、アメリカの一方的なドル切下げにより、高度経済成長の時代から低成長時代に転換せざるを得なくなりました。
1973年2月、再度のドル切り下げで固定相場制は崩壊し、変動相場制へ移行しました。
同年10月、第4次中東戦争の勃発に伴うアラブ産油国(OAPEC)が石油公示価格の引き上げを宣言し、日本は激しいインフレにみまわれました(オイルショック)
1985年には、ニューヨークのプラザホテルでの先進5ヵ国(アメリカ・フランス・イギリス・西ドイツ・日本)の蔵相・中央銀行総裁会議において、レーガン政権下のアメリカ経済の苦境を救済するため、ドル高是正に合意することになりました。
この合意に基づき、1ドル=240円台であったものが、1ドル=200円に一気にドル安・円高状況となりました(プラザ合意)
1989年に昭和天皇が崩御され、時代は平成、そして令和へと流れてきます・・
感想
経済にとっても激動の大正・昭和史ですね!
金本位制と為替に関するターニングポイントがいくつもありました。
それぞれの出来事はなんとなく分かっていたつもりでしたが、日本史を学び直して一気通貫で見てみると、流れが本当によく分かります。
2024年からの新札発行に関しては「預金封鎖」などのご質問が多いので、改めて学び直して得るものがありました。
「お金の日本史」より先に読んだ「経済で読み解く日本史(上念司著)第1~6巻」も徐々にまとめていきたいと思います。

