ひとは幸福になるために生きているけれど、幸福になるようにデザインされているわけではない。「金融資産」「人的資本」「社会資本」という3つの資本と8つの人生パターンから、「幸福に生きるための土台(インフラストラクチャー)」の設計を提案。

幸福の資本論
あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」
出版社 : ダイヤモンド社
発売日 : 2017/6/15
単行本 : 280ページ
著者:橘 玲
2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。同年、「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』が30万部を超えるベストセラーに。06年『永遠の旅行者』が第19回山本周五郎賞候補。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で2017新書大賞受賞。
この本を読むきっかけ
この本は刊行された2017年に「おもしろそうだな」とすぐ購入して読みました。それまで思っていたモヤモヤしていたことが、体系化して分かりやすくまとめてあり、スッキリし腑に落ちたのを覚えています。
行き当たりばったりの生活をしている思春期の子どもに、意味のある行動を諭しても屁理屈をこねるので、どうやって伝えるべきか考えあぐねていたところ『幸福の「資本」論』を思い出しました。
学校生活が主体で世間知らずな子どもが、進路選択を経て社会に出て生きていくにあたって、ベースとなる根源的な考え方を伝えたいと思い「幸福の資本論」を買い直しました。
書店に言ったら、『幸福の「資本」論』の続編である「シンプルで合理的な人生設計」(2023/3/7)が平積みされており、合わせて購入。
『幸福の「資本」論』を一から読み直し、続けて「シンプルで合理的な人生設計」を読むと5年のアップデートを感じることができます。
『幸福の「資本」論』については、私が特に重要と思った箇所、心にのこった箇所を中心にまとめました。
本書ではより多くの例示やエビデンスが記載されておりますので、ご興味を持った方はぜひ著書をご購読下さい。


幸福のための社会資本
「幸福」は社会資本からしか生まれない
巨万の富を手にしたとしても、そのことを誰ひとり知らなければ、たんなる紙切れ(電子データ)でしかありません。
人的資本は「自己実現」に必須ですが、それは会社内や社会での高い評価に依存しています。
「幸福になる方法」は理論的にはすごくかんたんです。
社会資本の最適なインプットによって、もっとも大きな幸福感がアウトプットできるよう人生設計すればいいのですから。
3つの世界
わたしたちはのっぺりとした社会空間にいきているわけではなく、人間関係には顕著な濃淡があります。
ここではそれを「愛情空間」「友情空間」「貨幣空間」と呼ぶことにします。
愛情空間と友情空間は、「政治空間」としてまとめることができます。
政治空間は牧歌的な理想郷ではなく、“敵と味方”の殺伐とした世界でもあるのです。
政治空間の向こうには、茫漠とした「他人」の世界が広がっています。
他人によって構成され、貨幣でつながる世界が「貨幣空間」です。
愛情空間・・2~5人くらい。半径10メートルくらいで収まる。
私たち人生の価値の大半を占める。80%くらいの人生の重み。
友情空間・・20~30人くらい。半径100メートルほどの人間関係。19%くらいの人生の重み。
政治空間まで範囲を広げても、生得的にヒトが個人を認識できる限界が150人くらい。
貨幣空間は1%程度の比重しかありません。
農耕と交易によってはじめて貨幣空間が成立して1万数千年の歴史しかないため、ひとびとが貨幣空間にきわめてわずかな価値しか認めていない理由です。
進化の歴史の重さによって、愛情や友情という古い人間関係に比べて、貨幣を介する新しいつながりの重要性を正しく認識できないのです。
友情の核は平等体験
友だち関係の核にあるものは、「新しい共同体のなかでみんなが横一列に並んでいる」という主観的な経験で、ひと言でいうなら「平等体験」です。
学生時代の同級生(たまたま学校で同じクラスになった)や、会社の同期(新卒一括採用)、ママ友などです。
「市場の倫理」と「統治の倫理」
お金が愛情や友情といった大切な価値を破壊するため、わたしたちは無意識のうちに政治空間と貨幣空間を区別し、政治空間に貨幣が混入することを避けています。
プライスレス・・値段のつけられない、かけがえのないもの
プライサブル・・貨幣に換算できるもの。値札をつけること
このことをはじめてしてきしたのが、アメリカの市井の思想家ジェイン・ジェイコブズで、これを「市場の倫理」と「統治の倫理」といいう異質の世界観の対立だと考えました。
※「市場の倫理」アメリカの市井の思想家ジェイン・ジェイコブズ(ちくま学芸文庫)
人類の作り出した2種類の相異なるモラル体系が「市場の倫理」と「統治の倫理」ですが、かんたんにいえば権力ゲーム(統治の倫理・武士道)とお金儲けゲーム(市場の倫理・商人道)のルールです。
- 権力ゲーム(統治の倫理・武士道)
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- 集団の中で一番になること(国盗り)と、異なる集団の中で自分の集団を一番にすること(天下平定)
- 政治空間がフィールドで、勝者総取りが原則
- お金儲けゲーム(市場の倫理・商人道)
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- 与えられた条件のなかでもっとも効率的に貨幣を増やすこと
- 貨幣空間がフィールドで、一番を目指す必要はなく、ほぼほぼ裕福な暮らしができればみんなハッピー
権力ゲームは手段を問わず頂点に立ったものが正しいというルールです。
戦国武将は一族郎党を死地へと向かわせるのですから、ただのイヤな奴では相手にされません。ひとを率いるには、名誉とか品格とかの「人間力」が不可欠なのです。
政治空間のもう一つの特徴は、階層構造を持つことです。ひとたび権力ゲームが決着すると勝者を頂点とするヒエラルキーが出来上がり、この階級社会のなかで「分をわきまえる」というルールが生まれます。
貨幣空間の際立った特徴はそのシンプルさにあります。
統治の倫理と対立する市場の倫理として「正直」「契約の尊重」「見知らぬ他人との協力」があげられます。
統治の倫理が名誉を貴び、位階を尊重し、伝統を堅持するのに対し、市場の倫理は協力には協力で報い、外の世界とも積極的に交易し、相手と長期の信頼関係をつくり、権謀術数を避けることを説きます。
「競争せよ。だが、殺すなかれ(暴力を締め出せ)」市場を壊してしまっては、一文の得にならないのです。
愛情に包まれた億万長者は物語のなかにしかいない
人間社会に異なるゲームがあるのは、富を獲得する手段に2つの方法があるからです。
① 相手から奪う(権力ゲーム)
② 交易する(市場ゲーム)
ジェイコブズは、この2つのルール(倫理)が混じり合うことで社会の根幹は腐ってしまうと警告します。
・武士道においては、市場の倫理を排除するために清廉が求められますが、家臣が利殖のために他の藩と勝手に交易を始めれば、殿様を頂点とする統治構造はあっという間に崩壊してしまうでしょう。
・顧客に誠実であることを要求する市場の倫理に、目的のために手段を選ばない権力ゲームは、消費者の信頼を失い、市場経済はその機能を停止してしまいます。
しかし現実には、政治空間と貨幣空間を厳密に切り分けることは極めて困難です。
市場を管理する政府も、市場ゲームの主役である会社も典型的な政治空間だからです。
個人と間人
1980年代に社会学者・浜口恵俊氏が西欧と日本を「個人」と「間人」と対比し、日本の特殊性を論じました。
- 個人
-
- 西洋人の認知構造が世界をもの=「個」へと分類
- 「個人」や「倫理」を重視
- 西洋人は個人的「かけがえのない自分」
- 間人
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- 東洋人は世界をさまざまな出来事の「関係」として把握
- 「集団」や「人間関係」を気にする
- 東洋人は間人的「共同体のなかの自分」
「じぶんの責任範囲の仕事だけすればあとは関係ない」という個人主義的な働き方は、仕事を生活のための必要悪とみなすことなので、そこに自己実現はありません。
しかし、マックジョブに間人主義で仲間意識を持たせると、従業員のモチベーションは上がり「幸福」を感じるようになります。ただしその代償として”日本化“した労働現場はたちまち会社による「やりがいの搾取」に変貌してしまいます。
日本の閉塞感の正体
幸福についての研究では「自分の人生を自分の自由に決められる」ことが幸福感に結び付くことがわかっています。
これが、「自己決定権」で、人生の自由度が大きいほど人生に対する満足感は大きくなります。
日本の社会は、ムラ的な間人主義に最適化され、そこから「やりがい」を生み出すようになっています。
会社に滅私奉公することを「幸福」と感じるサラリーマンの感覚はその典型です。
しかしリベラル化する世界で「間人の幸福」から「個人の幸福」へと価値観は変わりました。
これが現代日本の「閉塞感」」の正体なのでしょう
うつは日本の風土病なのか
日本人の幸福感は遺伝子レベルで、欧米人と生得的にちがうとの有力的な説があります。
セロトニンは、ドーパミンなどとならぶ脳内の重要な神経伝達物質のひとつで、「ハッピーケミカル」とよばれるように気分の安定に重要な働きをすると分かったからです。
セロトニンの機能がうまくはたらかないと不安症や抑うつ症に陥る可能性があります。
日本人のあいだでうつ病が多いことは広く知られていますが、日本人がうつになりやすい病前性格を持っていることが指摘されてきました。これが1961年ドイツの精神学者テレンバッハ提唱した「メランコリー親和型」で、うつ病になりやすい「メランコリー気質」がもつ病前性格(真面目・几帳面・責任感が強い・周囲の目を気にする・人間関係のトラブルを嫌う)です。
日本の精神科医が診療するうつ病患者はほぼ例外なく「メリーランコリー親和型」でした。
日本人は幸福になろうと“つながり”を求めますが、その結果(間人として)関係のなかに埋め込まれ身動きがとれなくなってしまいます。
しかしその一方でセロトニン運搬遺伝子についての最新の知見は、うつに対して脆弱な日本人が、よいことにもっとも敏感に反応できることを示してもいます。
すなわち自分に適した環境に身を置くことで“鈍感”なひとにはない幸福を手に入れることができるかもしれないのです。
そのためには、日本人の遺伝的特徴を前提として自分の人生を設計しなければなりません。
ここで重要になるのが、人間関係を選択できる「フリーエージェント戦略」です。
幸福になれるフリーエージェント戦略
煩悩から自由になった「ソロ充」
幸福も不幸も社会資本から生まれるとすれば、それに対処する方法はふたつの極論が考えられます。
- 人間関係の面倒を厭わず、泣いたり笑ったり、怒ったり抱き合ったりするべたな仲間や家族・親族の共同体のなかで生きること
- 一切の人間関係を断ってしまうこと
ソロ充は、「すべての社会資本を政治空間から貨幣空間に置き換えたひとたち」といえます。
公務員とフリーエージェント
ひとびとはなぜ、人間関係を政治空間から貨幣空間に移して「ソロ充」化していくのでしょうか。
それは、「いちどだけの強い痛みより、弱い痛みが持続する方が幸福度を大きく引き下げる」という幸福の法則から説明できます。
職業別の幸福度を調べると、多くの研究で、自営業と公務員の幸福度が高いことが知られています。
収入が少なくても、会社員より自営業の方が人生の満足度が高くなるのは、自分の好きなことをして自己実現できるからだけではありません。時間(いつどれだけ働くか)と人間関係(誰と働くか)が選べれば、それだけで幸福感は大きく上がります。
公務員といういのは、与えられた職責をマニュアルどおりにこなすのが仕事で、自分の裁量で判断することは原則として禁じられています。その意味でやりがい(自己実現)はありませんが責任もなく、そのうえ定年までの収入と生活が保証されているのですから、その安心感が幸福に結びつくのです。
これは、やりがい(自営業)と安定(公務員)を頂点として幸福度がU字型になっていることを示しています。
サラリーマンの幸福度が低いのは、縮小するマーケットのなかでやりがいが失われ、リストラなどで安定も覚束なくなってきたことから説明できるでしょう。
フリーエージェントという戦略
フリーエージェントは知識社会に最適化した生き方で「好きなこと」に人的資本のすべてを投資し、官僚化した組織では生み出せないコンテンツやテクノロジー、スキルや知識を独占します。
インターネットを通じて顧客と直接つながることができるようになった彼等は組織に従属する必要がなくなり、人間関係を選択することで自由な人生を楽しむのです。
「幸福な人生」の最適ポートフォリオ
組織(強いつながり)を捨てることのデメリットは生活が不安定になることで、メリットは人間関係を選択できることでした。
あらゆる調査で人生の悩みは「健康、金銭、人間関係」となっていますから、フリーエージェント化で嫌な相手と付き合わなくてもよくなれば、それだけで人生の問題の3分の1は消失してしまいます
(経済的に独立すれば金銭の悩みもなくなりますから、残るは健康だけです)
しかしそれでも「ソロ充」の生き方に諸手をあげて賛同するひとは多くないかもしれません。
「すべの不幸は人間関係からもたらされる」というのが真実だとしても、だからといって愛情も友情も捨ててしまったのでは生きている意味がなくなってしまうからです。
「幸福な人生」のポートフォリオは、大切なひととのごく小さな愛情空間(強いつながり)を核として、貨幣空間(弱いつながり)で社会資本を構成することで実現できるのではないでしょうか。
- 「強いつながり」
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- 一極集中している状態
- 社会学で言う内集団で、メンバーの「情緒的共感」が幸福感を生む一方で、その一体感が外集団(自分たちでない者)の排除や差別からもたらされる
- 「弱いつながり」
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- 社会資本を分散しているので、その分だけリスクに対する耐性は強くなる
- (ビジネスや趣味など)お互いの価値観が似ているという「認知的共感」によって境界の曖昧な集団を構成するので、異質な存在に対しても寛容。
「強いつながり」を恋人や家族にミニマル(最小)化して、友情を含めそれ以外の関係はすべて貨幣空間に置き換えるのです
そのうえでひとつの組織(伽藍の世界)に生活を依存するのではなく、スペシャリストやクリエイターとしての人的資本(専門的な知識や技術、コンテンツ)を活かし、プロジェクト単位で気に入った「仲間」と仕事をします。
すなわち「幸福な人生」の最適ポートフォリオはこのようになるはずです。

「ほんとうの自分」はどこにいる?
私たちは、人生というゲームのなかで、自分が所属する集団で役割(キャラ)を確保し、できるだけ目立とうとすることと、自分たちの集団を敵対する集団より優位に置こうとすることを進化によって、“プログラミング”されています。
いったん「集団」ができると、こんどは集団同士で合従連衡が始まります。
こうした複雑な人間関係のゲームのなかで、私たちは「自己実現」しようとしています。
それは「ほんとうの自分」と出会うことでした。
「ほんとうの自分は」あなたの過去に存在するのです。
「ほんとうの自分」とは幼い頃に友だちグループのなかで選び取った「役割=キャラ」の別の名前です。
しかし往々にして、生きていくために子ども時代のキャラをあきらめざるを得なくなります。
理屈のうえではこうした判断は正しいのでしょうが、無意識は合理性では動いていないので、「大人の事情」を受け入れることができません。
こうして子どものころの自分(キャラ)はいつまでもこころのなかに残り「ぼく(わたし)を見つけてよ」と訴えつづけるのです。
エピローグ
それでも幸福になるのは難しい
幸福な人生への最適戦略とは次の3つに要約できます。
- 金融資産 「経済的独立」を実現すれば、金銭的な不安から解放され、自由な人生を手にすることができる。
- 人的資本 子どもの頃のキャラを天職とすることで、「ほんとうの自分」として自己実現できる
- 社会資本 政治空間から貨幣空間に移ることで人間関係を選択できるようになる
3つの資本=資産を一体としてとらえる「幸福の統一理論」を次のようにまとめることもできます。
- 金融資産は分散する
- 人的資本は好きなことに集中投資する
- 社会資本は小さな愛情空間と大きな貨幣空間に分散する
こうやって頑健な「土台」をつくったあとで、それぞれが自由な選択で「幸福な人生」という家を建てればいいのです。この本でのべたことは、ようするにこれだけです。
いまの日本に生まれたという“奇跡”と“幸運”を持つ私たちであれば、幸福のインフラを実現することはけっして不可能ではありません。
朝目覚めて、「わたしはなんて幸福なんだろう」と思えるような生活に憧れるひとは多いでしょう。才能と幸運があれば、そんな生活を手に入れられるかもしれません。
しかしいつしか、その幸福感にも慣れてしまいます。そしてその空隙に、不幸が忍び込んでくるのです。
幸福は逃げ水を追いかけるようなもので、けっして手に入ることができないということです。
進化論的にいうならば、ヒトは不幸からの回復力(リジリエンス)を手に入れるために、幸福を犠牲にしています。
人生のさまざまな出来事に遭遇して一時的には幸福になったり不幸になったりしますが、その感情はいずれいつものレベル(それはおそらく遺伝的・生得的に定められている)に戻っていくのです。
人生設計の理想のポートフォリオを手に入れれば、家族関係や健康問題のようなどうしようもないもの(運命)を除けば、日々のストレスはほぼなくなります。しかしそれは、主観的には「他人よりもちょっと幸せ」といった程度のものかもしれないのです。
幸福と逆境の不都合な関係
それでは”ほんとうの”幸福はどこにあるのでしょうか。
多くの人は人生に逆境などない方がいいと思っているでしょうが、あまり逆境を経験したことのないひとたちは、ある程度つらい経験のあるひとたちに比べて、幸福感が低く、健康状態が劣っていました。そればかりか、過去に逆境を経験した数がゼロのひとたちは、逆境を経験した数が平均的だったひとたちに比べて、人生に対する満足度がはるかに低かったのです。
困難な局面は、それを乗り越えた現在から振り返ればポジティブな体験へと変換されるのです。
この現象を理解するポイントは、「逆境はすでに過去のものになっている」ということでしょう。
「逆境は人生の満足度を高める」というのは一種のトートロジーなのです。
困難が大きいほど、それを乗り越えたときの幸福感も大きいのなら、「幸福」は理想の人生のポートフォリオのなかにあるのではないことがわかります。
幸福な人生を目指してがんばっているときが、もっとも「幸福」なのかもしれません。
あとがき
かつて「幸福」は神の専売特許でした。
しかしダーウィン以降の私たちは、もはや神に頼ることはできません。
幸福は主観的なものですが、だからこそ「自分の幸福」については自分で考え「設計」するしかないのです。
心理学者は、どのようなアドバイスが有用なのかを明らかにしました。
その原則はとてもシンプルです。
「ひとは、自分と似ているひとからの助言がもっとも役に立つ」
感想
『幸福の「資本」論』は、2017年の発刊当初に読んで、「なるほど」と目からウロコの思いがしたのを覚えています。
それから5年経った今読んでも、色あせることなくやはり「なるほど」と納得しました。
この本を読んだのを機に行動を起こしたという訳ではないのですが、心の奥、潜在意識にいつもベースとしてあって、知らず知らずに「プロフェッション」を身につけなくては!と選択・行動をしてきた気がします。
「エピローグ」と「あとがき」の箇所は、発刊当初に読んだ時の記憶がすっかり抜け落ちてしまっているのか「こんなことが書いてあったんだ」という気づきがありました。
著者は、「幸福になるための戦略」についてベストプランを提示していながら、エピローグでは「幸福はけっして手に入ることができない」としています。まさかのどんでん返しというか・・確かに、著者のベストプランだけで解決していないから、今日まで「幸福」や「成功」に関する本が出版され続けているのですよね。
私もその後、さまざまな著者の「幸福」や「成功」といったビジネス書(ハック本)を読んでいましたが、腑に落ちることもあれば、腑に落ちないこともあり・・
今回改めて橘玲さんの『幸福の「資本」論』を読んで、「やっぱりこれだな」と再確認しました。
あとがきにあった「ひとは、自分と似ているひとからの助言がもっとも役に立つ」ということなのでしょうか。
あらためて気づきをいただきました。


